ペルのホワイトボード

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選べない恐怖

高校生の時、サッカー部に入った。

小学生の頃から始めて、ずっとやっていたサッカーが大好きで、高校でも上を目指してやっていこうと思って、意気込んで入ったのを覚えてる。

だけど、周りのレベルは高くて、正直全然自分がスタメンに入る絵が想像できなくて

それでも我武者羅に、馬鹿みたいに努力だけはしようと思って、練習後の自主練でも人一倍走ったし、スキルの練習も毎日欠かさずやった。

毎日続けて迎えた高校一年生の冬の新人戦

スタメンで出ていた選手が怪我をして、出場のチャンスが来た

自分から手を挙げて出場した

試合に出て、必死に走って戦って、試合終了間際

相手選手と交錯して、肋骨付近と右足首に違和感が走った

肋骨も足首も折れていた

痛みですぐピッチの外に運び出されて病院に運ばれた

足首の方はタチが悪い怪我で、重症でないものの、癖になるタイプの怪我だった

いつも通りの自主練

走っている途中、ボールを蹴っている途中

癖になった足首の痛みで、思うように練習ができない

走れない、ボールを蹴れない

15分くらい練習したら、痛みが出てダメになる

そんな選手、当然起用されない

手術で治すと言う手もあった

だけど、それでも癖になる可能性があると医者に言われた

選手として終わったと思った

真剣勝負の世界では選手としてやっていけないと

 

その後、二軍で戦いながら、チームの怪我人をサポートする為に、テーピングを学んだり、何らかの価値を自分に見出そうとした

その直向きさを褒めてくれる人もいた

 

だけど、自分の中でずっと思っていた

走りたいとボールを蹴りたいと

練習がきつくて、逃げ出したいと言っているチームメイトが羨ましかった

一緒に苦しみたい

一緒に死にそうなくらいきついと感じたい

苦しいことからは逃げたいもんなのに

一番怖いのは、苦しむことじゃなくて

苦しむことすら「選べない」ということだと気付いた

あの時、選べなかった恐怖はもう味わいたくない

選択肢を誰かに絞られることもなく

制限させることも、奪われることもなく

選べる幸せが欲しい

その為に努力しようと思う

 

無力では選べないから

 

成功体験と失敗体験

「失敗があるから成功する」

という言葉がある。

自分の人生振り返ってもとても共感できる。

 

だけど最近、意味合いが違う形で使われているのを見ることがある。

 

その挑戦をする前に、「失敗しても大丈夫、失敗にも意味がある」と自分のハードルを下げる使い方

本番前に自分の緊張を和らげる為にこう言った言葉でセルフマネジメントするのはわかる

 

けど、ハードルを下げる為

まあ良くやったよみたいな感じに使う感じ

とても違和感がある

成功を最後まで

ゴールテープ切るまで目指したから、失敗しても、意味がある失敗になると思う

失敗から学ぶこともある

でも、正直、成功体験には敵わない

成功体験は分析して再現すれば、もう一度成功できる

でも、失敗体験は消去法でしかない

この方法をもう一回やると、失敗してしまう

だから、反省して、"同じ失敗をする"リスクを抑えられるだけで、成功するわけではない

それくらい違う

 

こんなことをよく思う

だから、上手く使い分けなければならないと思う

 

少し話は変わるけど、

私は本を読むのが好きで、良く本を読む

 

その割にこのブログの文章力は酷いものだが

 

本を選ぶ際、一番良い本を選ぼうとしてしまう

今の自分が最も読むべき本

その分野に関して網羅的で正しい知識が詰まっている本

そんな本を読みたいと考えて本を選んでしまう

そのせいで、本選びに時間を使ってしまって、その分、本の冊数が減っている

沢山読めば良いというものではないのはわかっているが、色々な本に触れることに価値を感じるのに、そんなことをしている

 

この場合、先ほどの失敗を活かそうとする発想を使うのもありなのかなと思う

 

私には良い本を見分けるほどに尺度がまだ未熟故にない

だから、正直今の能力で良い本(成功)をピンポイントで当てようとする方が悪手なのかもしれない

ならば、そんなコスパの悪いことする前に、シンプルに気になった本を手に取り、読んでしまえ

例えそれが自分にとってあまりしっくりこない本でも、成功確率を1/100から1/99に上げることには貢献できたではないか

 

自分が未熟すぎる領域ではこの考え方もアリなのかなと

 

いきなり、質を追うな、最初は量をこなせ

この意味をそうすると通ずるものを感じる

 

成功を全力で目指す姿勢は忘れてはいけない

でも、手を止め、成功どころか失敗もしないなら、手を動かして失敗することに価値がある

一番価値がない事は、何もしないことなのかなと思う今日でした

締まらない人生

自分がなりたい像に対して自分があまりに怠慢である

 

なりたい自分に近い存在である方々

独立して起業したり、何かしら自分の力で価値を生み出して大成したり

或いは勉強を極めて豊富な知識を活かして生きていらっしゃる方も

血の滲むような努力をしている

成功に見える今もまだ努力している

人によっては自分よりも若いのに、早い段階で努力することの価値に自分よりも早く気付き、スタートを切っている

本当に凄い

そうなりたい、超えたいと思い机には向かう

行動はする

長時間取り組む

 

ただ、生ぬるい長時間

やっているようには見えるかもしれない

ただ夢中になれていない

 

あの人たちは、1秒を惜しんでそれをやっている

熱い長時間の努力を当たり前に

必要なこととして

 

覚悟が足りない

本気になれていない

浅くて語れない

 

もっと足りない

頑張るって、、?

寝てる時間って頑張ってないのか

 

頭で考えると睡眠も含めて管理することも努力の一つとも考えられる

体調管理もプロフェッショナルとして求められるし大事なことだ

これが完全に間違っていると言う人は少ないはず

でも、「頑張る」ってイメージすると、寝ずに睡眠時間も削ってがむしゃらにやってるイメージ

仮眠を取ってると、やりきってない気持ちになる

努力ってなんだろ

努力が何かわからないから

頑張ってるが明確に定義できてないから

 

どっちつかずで、ずっと頑張れてない気持ちになる

こんにちは ペルです

今週のお題「一生モノ」

 

初めてのブログ挑戦

初めての投稿になります。

ペルです。

コツコツと地道にやりながら、色んなものに興味を持って、皆さんにそれを共有できたらなと思います。

 

初投稿で、いきなりテーマは「一生モノ」

別にテーマは自分で考えたって良いんですが、そんなことしてると投稿しなさそうなので、このテーマでいきましょう。

 

自分にとって「一生モノ」ってなんだろうと考えてみて、いきなり腰を折るようで、申し訳ないですが、「一生モノ」思い当たらず、、、でした。

 

皆さんはどんな一生モノが思い当たりますか。

宝物とか?思い出とか?友達、恋人、家族?とか?

 

なんか、自分の場合は、多分、一生モノがあると怖くて仕方ないのかなと思いました。

 

小学生の頃、親に扇子を、プレゼントしたことがあったんですよ。

夏でね、暑いから良いプレゼントかなと思って、和紙でできた、ちょっと大人っぽい扇子を

 

ある日、夕立で、そのあげた扇子がカバンの中で濡れちゃって

もう、元には戻らないほどボロボロになっちゃってて

親は「ごめんね、、」って何度も言いながら、無理なのに、頑張って乾かしたらしてて、、

それ見た時に、こんな顔見る為にあげたわけじゃないのになって思っちゃって

こんなことになるなら、プレゼントなんてあげなければ良かったって

 

別の時に、これも小学生のとかなんですけど、クマのキーホルダーをカバンにつけて、遠足に行ったんですよ

誕生月で、色が違うクマの小さいキーホルダーで、おばあちゃんにもらった大切なものだったんですけど

遠足で無くしちゃって

本当に悲しくて、毎晩泣いて、泣いて

大切なものがあると、思い入れがあると、こんなに辛いのかって

 

こんなことがあって、一生モノとか、物体としても持たないし、思い出とか、友達とか恋人、家族でもあまり思わないようにしてきちゃってます

 

まあただ、ここ最近、年齢的にも人生の転機で、自分の人生で一番大切なものとか、「これの為なら頑張れる」みたいなモノ何かなって考えた時、思いつかなくて、良くないなと思っていて

 

ちょうど今、一生モノ探し中かもしれないです

 

一生モノ、見つけたら報告しようかなと思います

 

それでは今日はここまで